- 2010-02-13 (土) 12:00
- 三橋範士の「剣道」
三橋秀三範士の『剣道』 「第2章 剣道の意義と特性」 から引用させていただきました。
2 剣道の特性
剣道は遺産スポーツであるからその特性は伝統的側面とスポーツ的側面がある。(1)伝統について
古来の剣術は修練を通して心身を練磨し,技能を習得したのであるが,それとともに武士道徳の涵養がその目標であり,目的は武士としての人間形成にあった。現代の剣道がこれらの伝統を持っていることに重要な意義を認めるのである。
伝統は単に古いこと,あるいは,長くつづけられたことだけに意味があるのではなく,現代の社会に適合するものでなくては,その本義も失われるし,価値もともなわない。
剣道の伝統も昔そのままの姿ではなく,現代社会に適合するよう修正され,発展させられなくては伝統の真の意義を失うのである。 今日の日本人としての道徳は,昔の武士道徳と同じであるはずがなく,礼にしても昔と同じ作法で行なう必要はない。また,剣禅一致といっても,禅を修行する機会のほとんどない現代人がその精神を禅によって会得することは困難であろう。
伝統で一番たいせつなことは芭蕉のいわゆる不易流行であろう。伝統とは決して固定したものではなく,常に時代とともに生きるべく修正され,発展するものでなくてはならないことである。つまり,伝統は現代に生命のあるものでなくては何ら価値のないものであるということである。
剣道の伝統が今日ほど鼎の軽重を問われる日はありますまい。現代社会に障害になるものは潔くとり除き,いく世代をかけて育まれてきた価値ある,貴重な精神とか作法,また修練などといったその基礎的要素は失わないように努めねばならない。剣道の伝統というものを以下,倫理面と技能面並びに修練の方法とに分けて説明する。(2)剣道の倫理面(道徳の涵養)
1)伝統的背景について
古代の剣道理念は,武士の文武合一の思想と儒教とがその主な背景となっている。武家諸法度の第一条に「文武弓矢の道専ら相嗜(たしな)むべきこと」とあり,又,その条下に続けて「文を左に武を右にするは古の法なり」と述べられているように,この思想は武士修行の基本であり,心得であった。
また,武士道の思想的背景をなした儒教は,君子の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信の五倫を説いているが,これらの徳目は封建的な武士社会における人間関係のあり方を示したものである。
2)剣道と道徳涵養(かんよう)の関係について
武士道は前述のように,主に徳川時代における文武合一の思想と儒教とを背景として発達したのであるが,剣術の修練によって武士道がいかに養われたかについて,その過程を述べる。剣術の修練は元来,武術の上達を目的として行われたのであるが,武士的人格の形成を目的として行われるようになったのは柳生の功績といえよう。彼は家康の施政方針の一つである武士教育にそって剣術の修行目的を明示し,これを道場の掟としたのである。
また,すぐれた剣道形が排出し,柳生を見習い,あるいはこれを凌駕するなどしたことも見逃せない。このことは古来,各道場には修行心得がかかげられ,剣道の目的が人間形成にあることを示してきた伝統的風習によってもうかがい知ることができよう。
どのスポーツでもこれが行われる理念は,スポーツマンシップを養うことにあるのであるから,剣道の理念と基本的に変わるところではないのであるが,剣道がとりわけ,他のスポーツと比較して道徳を涵養するのにより効果的であるのは,上述したように,古来より剣道の修行が人格の形成を目標とし,その修行心得をばおもてにかかげて行われてきたという伝統に根ざしているからである。
3)道徳の修正について
次に,新渡戸稲造氏の武士道の徳目をあげ、それらの道徳が要求されてきた理由ならびに修正されるべき諸点を表示して説明しよう。
①忠 武士道での忠は武士社会における主従関係の中軸として成立しているのであるから,主君に対する忠であって,主君に対して従順であり,献身であり,奉仕であった。
葉隠に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名なことばがあるように,武士道は主君のためには死をも厭わない忠が根本であった。
この忠は明治以後,天皇が主君に代わって軍人精神の中核となり,国民皆兵という大きなわくの中に広められたのである。
民主的な国家とか現代社会における忠とは国家,社会,あるいは集団などに対する真心と協力精神であり,その普遍化が最も望まれるところである。武士道の中核である忠がこのように修正され,現代社会に適合すれば,その本質からいって,社会発展と人間の和にきわめて尊いものがあろう。
剣道が国家意識を持ち,民族愛を培うためこ効果的であるとされるのもこのためである。
②礼儀 礼儀は相手の人格を尊重する心の持ち方を形のうえにあらわすところに本質的なものがある。
剣道が「礼にはじまり,礼に終わる」といわれるのも礼が武士道の重要な徳目であったからである。礼儀は剣道修練を通じて養うことが最も効果的であるとの考えから,剣道場における礼儀は特に厳格に守られたのである。
格技スポーツは競技の性質から,特に礼儀が守られなければならないが,剣道がごく自然に,伝統としてこれを受け継いでいるのはその特性として意義深いものがある。
武士階級ではその日常生活にも武術の修練にも礼儀が重んぜられたのであるが,その礼儀は忠から出発したものであり,儒教思想の日常化の中で完成されたものである。武士の礼儀は階級的武士社会を基盤に成立しているのであるから,それはそのまま人間互いに平等な立場である現代生活に相いれられるはずはないが,礼の本質は相手の人格を尊重することにあるのであるから,人間がエゴイズム化し,機械に個性を奪われがちな現代にこれ以上にたいせつで尊いものはないのである。また,礼儀の形式においても武士が行なった通りにできるはずがない。もちろん,現代生活に適合するように修正されてしかるべきである。
礼儀を重んずることはどのように新しい時代になっても,人間関係のうえでごく自然に生じるたいせつなことであり,その人間関係が社会の発展の基盤でもあるのであるから,剣道で礼儀を特に重んずることはその特性として高く評価されなくてはならない。
③信義 信義とは真心があって正しい意である。武士の社会では,上に対して二心がなく,朋輩に対して約束を守り,下に対してはごまかしたり,嘘をいわないことである。これらの道義は階層的な武士社会では封建的な秩序を守りこれをまちがいなく維持するために必要であり,ひるがえって自己の地位を守るためにもたいせつであったのである。しかし,武士社会という前提をはずして,その目的を現代的にとらえ,相互の人格尊重としたらどうであろう。本来の真心あって正しい心はものの正鵠をとらえて利欲に走らず,本当の共存と平和とを現代によびもどすものと信ずる。
④勇気 戦い争うことを生業とした武士が勇猛果敢でなくてはならないことはいうまでもないから,武士にとって勇気は主君のため忠を実現する根元である。葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり。二つの場合にて早く死ぬかに片付くばかりなり。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などということは上方風の打ち上りたる武士なるべし。」は勇気の究極を示したものであろう。
しかし,これは武士であるという前提があってのうえの勇気であって,個人がより長く生き延びることを人生の本義と考えている現代民主主義の時代にこのまま当てはまるわけがない。勇気の心理学的意義と,また,その目的とがあらためて考慮されねばならないのであろう。勇気には積極的な面と消極的な面があるが,沈着・冷静・敢為空忍などの精神が要求され,卑怯・卑屈・未練などが排撃される。これらは人生創造の活力的な要素であり,現代社会の人間関係にも欠くことのできないものである。
剣道でこれらの精神が涵養できるのは伝統と格技の性質上からであって,それもきわめて効果的といえるのである。
⑤質素 質素とは物質を倹約し,むだな使用をしないことであるが,無欲とか清廉などもこれに含まれている。
元来,武士の生活では質素,無欲が重んぜられたのは次の理由によるものと思われる。
鎌倉時代から徳川のごく初期に至るまでは武士は常に戦場という特殊な生活環境に対処しなくてはならなかったので,質素な生活に堪えることが強く要求されたのである。ついで徳川時代には封建制度下の平和がつづくと町人が次第に経済力を握り,抑制された地位,身分に代わって金銭だけが彼らの生活意欲となるに及んで,幕府は武士の体面を保ち,財政的再建をはからねばならず,政策としては最も安易で具体性のない徳目をかかげ,金銭を不浄とし,質素を奨励したのである。以上述べたように武士たる以上,質素は物心ともに生活上直接欠くべからざるものであったが,物質が豊富な現代人の生活では,質素とはむだを省いて生活を合理化する謂であろうし,これなくしては現代の生活ははじまらないといえるのである。
⑥克己 戦闘を職業とする武士は,戦場においては精神的にも肉体的にも苦しさに堪え忍ばなくてはならないのであるから,常日ごろからこの精神を養っておかなくてはならない。
また,徳川時代になって町人が経済力を握るようになってから質素に堪える精神を養い,武士の体面を保つことが必要であったであろう。いわゆる,「武士は食わねど高楊枝」である。
これらの精神は根性にも通じ,安易に流れず,現代人みずからの生活と社会の内容を充実するためにきわめて重要である。剣道は,競技の性質と伝統的修練とによってこの精神を養うために効果的であるといえよう。
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