Home > 三橋範士の「剣道」 > 剣道の特性 – 伝統的側面 – 技能面とその修練法

剣道の特性 – 伝統的側面 – 技能面とその修練法


三橋秀三範士の『剣道』 「第2章 剣道の意義と特性」 から引用させていただきました。

(3)技能面とその修練法
技能面と修練面における剣道の主要な特性について表示して説明する。
1)心境
剣道は古来より無念無想を修業の目標として行なわれてきたのであるが,この修業精神は技能向上面での特筆すづき伝統であって世界のスポーツには比類がないすぐれたものということができよう。
技能力がよく発揮できるためには,その精神状態は習熟程度に応じて三段階に分けて考えられる。第一の段階は精神の集中であり,第二段階はこの精神の集中のうちにもなおかつ周辺に気を配ることのできるゆとりのある状態であり,最終段階は最も高次の精神状態で,いわゆる,無念無想である。
この心境は禅の精神と一致している。無我・明鏡止水・不動心などに通じ,止心・邪心を去って無念無想の境地になることである。それは水が方円の器にしがって形を自然に変えるように,随所に主となり,充実した気力で本領が発揮できるのである。剣道は不動心を養い,相手に応じて自由自在の攻防ができるよう修練するのであるが,そのためにはこの心境が最も要求されるのである。この心境に達すると心のおきどころが明らかになり,万象の変化すべて心中にあり,一事に心を止める必要がなくなるから,自由自在に心の働きができるようになる。
この心境については,沢庵禅師が剣道の極意として柳生宗矩に伝授した不動智神妙録を参照して究明されたい。
剣道と禅とでは窮極の精神目標が同一であることから,禅の修行によって剣道の精神を習得するのが効果的であると考え,古人は禅を修行し,剣道極意の精練を会得するように努めたのである。現代人は禅を修行する機会にほとんど恵まれていないから,修行により禅の精神を会得することは望めない。しかし,剣道を行なえば,剣禅一致の伝統的精神が今日もなお,剣道の中に伝承されて生きているという事実を容易に見出すであろう。どのようなスポーツでも,窮極ではこの心境が要求され,特に敏捷な動作が瞬間的に行なわれる場合にはことさら,強く要求されるわけであるが,剣道はその技能の性質からいって,生命をかけての真剣勝負を前提として行なわれるものであるから,この絶対的心境こそいわば剣道の象徴であり,特に希求されるゆえんである。
このような境地には容易に至れるものではないが,古来,剣道がこの境地を臥標として修業してきたことは,剣道の技能面における最も重要な特性と見ることができよう。
<注意事項>
剣道がこの精神を養ううえで他のスポーツと異なる点とその理由とを表示して説明する。
|ⅰ)競技の性質 |勝敗が瞬間的に決し、とり返しがつかないこと|
|ⅱ)修練の永続性|剣道の修練は長年つづけておこうことができること|
|ⅲ)伝統 |修業目標として行われてきたこと|

i)競技の性質
前述のように,剣道は近距離で瞬間的に勝敗が決し,しかもとり返しがつかない兢技であるから,この精神が他のスポーツに比べていっそう強く要求されるのである。また,真剣勝負を前提とし,スポーツとしては格技であるから,驚・愕・疑・惑などいわゆる四病が起こりやすく,他のスポーツと比較して平常心を保っことがなかなか困難である。このような精神面への要求とこれを満たす困難さとをあわせ持つ兢技の性質上,剣道は他のスポーツに比べてこの精神を養うのには,きわめて効果的であるといえよう。
ⅱ)修練の永続性
単純な動作を創意工夫しながら心をこめて繰り返し,繰り返し行なうことによって,心のおきどころが明らかになり,一事に心を止める必要もなくなり,はじめてこの心境は自然に養われるのであるが,長年つづけて行なうことが肝要である。剣道は兢技の性質上,他のスポーツに比して長年つづけて行なうことができるから,この精神を養うのには最も効果的であるといえよう。
ⅲ)伝統
武士が禅を通じて修行をするようになったのは鎌倉から戦国時代にかけてのことであろう。
武士は死を恐れず,勇猛果敢な働きをするため,心のよりどころとして禅の精神を学んだのである。この精神が剣道修行での精神面の目標となったのは,沢庵禅師が柳生宗矩に不動智神妙録を伝授し,柳生が剣道の極意としてその指導精神としたことにはじまる。徳川時代に輩出したすぐれた剣士たちがことごとく柳生にならい,伝統を培かった業績も大きい。ここにこの精神が剣道の修業精神として形成されたのである。
この精神こそは世界に比類のない,すぐれた所産であり,これを修業目棟として行なわれてきた伝統が現代の修練も脈々として生きているのは,その意義がきわめて深いといわねばならない。
2)修練の態度
真剣な心で行なう 剣道はしないを保持し,約束部位を打突して勝敗を決する競技であるが,本来は日本刀を使用して真剣勝負に勝つための訓練であった。したがって,時代が変遷し,スポーツ形式で行なうようになった今日でも,剣道が真剣勝負の訓練としての精神を忘れてはその意義を失う。
外来のスポーツ訓練の目標が競技力の向上にあるのに比べて,剣道の訓練はさらに剣道が本来持たされている態度が望まれるし,また,それなくしては到底行ないえないものなのである。剣道技能において捨て身の精神を尊び,残心が重視して行われているは,武術としての剣道精神を重視した教えであってその意義は深いといえよう。
現代における剣道の試合は外来のスポーツと同じようにルールによって行なわれるのであるから,スポーツの領域に属するのはいうまでもないのであるが,その奥底には上述の精神が生き生きと流れているのであって,この精神こそは剣道の基礎的な特性ということができる。剣道で養われる真剣な精神は現代の社会生活においても高く評価されなくてはならない。
正しい礼儀作法で行なう 剣道はしないを使用して打突し合う競技であって力まかせな行為に陥りやすいから,スポーツとして行なうためには相手の人格を尊重する態度が他のスポーツに比べていっそう重要な条件となる。また,剣道は古来「礼にはじまり,礼に終わる」といわれているように,常に礼を尊び厳格な礼儀作法で行なわれてきたことは現代,礼儀を重んずる態度を育成するのに特に効果的であるといえよう。
礼については,倫理面の項(p.22)を参照されたい。実践を通じ,形のうえから学んでゆく伝統は,効果的な一面があるといえよう。
3)修練法
剣術における修練法は,古来,精神面と技能面から長期にわたって深く究明され,すでに伝統的修練法が形成されている。
現代スポーツの練習は日進月歩,科学的に研究され,効果的な方法で行なわれている。伝統的修練法は観念的・抽象的であるが,なんといっても,積み重ねられた研鑽と経験に重みがあり,行なってみるときわめて科学的でさえあり,尊いものがある。したがって,現代の剣道修練法は伝統的修練法のうち,有意義なものはとり入れ,科学的修練法との調和のうえで効果的に行なうことが肝要である。伝統的修練法の中で現代においても特に参考となり,価値のあるものについて述べる。
事理の一致の修練を重視した 沢庵禅師は不動智神妙録における伝授の中で柳生宗矩に理の修行,事の修行として技術と理合の一致した修行を説いている。
現代のことばでいえば “理論を基盤にして技術の修練をせよ” ということで,技術と理論とはあたかも車の両輪のようなものであると述べている。この修練についての基本的理念が引き継がれ,徳川三百年から現代にかけて歴史とともに厳しく育成され,向上し,現在われわれが持っている高次の理論を基礎にして修練をするという伝統となったのである。
沢庵禅師が剣の極意として示した不動智神妙録及び武蔵の五輪の書の水の巻におけるいくさの理合などは実に高次な理論であって,剣道で高次な技術内容を持つまでに発展したのは,これらの理論が受け継がれ,修練の場に生かされてきたからである。技能修練に理論を重視することは技能を習得するために効果的であるばかりでなく,人間形成のうえからもきわめてたいせつなことであって,剣道の修練が万芸の理に通じるようになり,社会生活に生かされるためには理論を研究し,理業一致の修練を行なわなくてはならない
現代の剣道は古来受け継がれてきた尊い教えとともに科学的理論を基盤にして修練することが重要であるが,剣道の修練が古来,理業一致の指導精神で行なわれてきたという伝統を持っているところにかけがえない,民族的意義があるのである。
守・破・離 古来,剣術の修業は守・破・離の三段階に分けて行なわれてきた。守はもっぱら先生について学ぶことで,初級者の修練法であり,破は守の時期に習得した技能を活用して鍛練する中級者の修練法であり,離は理合にもとづいて研究する熟達者の修練法を示したものである。 この修練段階は剣道の伝統的修練過程となったのであるが,現代においても参考にすべきであろう。
この修練過程はこのまま現代の修練過程として全面的には受け入れられないのは,モラルの違いからいっても当然であるが,ただこれを修練段階の参考として考慮することは価値ある教えであるといえよう。
特に,年配者が離の時期でありながら破の時期として技能の修練に専心し,離としての研究をおろそかにしていることは,この教えを通じて反省しなくてはならない重要なことであろう。詳細については指導の修練と要点の項(p.201)を参照されたい。
師弟がともに修練すること 体育は師弟の人格の接触により人間形成をはかろうというのであるが,師弟が全力で互いに身体をぶっつけ合い,ともに汗を流して業を磨くという古来,行なわれている剣道の稽古は現代においてもきわめて価値のある,尊い修練法といえよう。この修練は指導者と修練者との人間性が相ふれ,技能の修練を媒介として魂の交流ができるから,師の人格を通じて人間形成を行なうこととなる
師が修練者とともに真剣に修行しながら修練者を指導する態度は修練者の意欲を高めるとともに,師の人格を弟子に植えつけることになる。
この修練法は,現代スポーツの修練法に比べて,師による人格形成の面ではるかにすぐれているといえるのであるが,それだけ師の責任は重く,師のすぐれた人格が強く望まれるのである。また,師に対する稽古は,精神的にも,肉体的にも重い負荷をかけることになるから,技能の上達をはかるうえで他には見られない効果があるのである。したがって,剣道の指導者は自ら人格を養い,技能の修練を励むとともに修練者に対しては区別なく稽古をすることがたいせつなのである。ここに師と修練者との愛情が自然に生じ修練者の師に対する信頼性も深まるのである。次に,先輩は常に後輩と稽古して自分の技能を磨くとともに後輩をよく指導する。これは師弟関係に準ずるものであるが,さらに同輩同志も相互に人格を重んじて稽古をする
これは技能の上達に効果的であるばかりでなく,そこに友情が生じ,人生を豊かなものにする人格形成のうえからもすぐれた修練であるといわねばならない。
剣道の伝統的稽古は日本教育法の根本理念ともいうべきものであって,今日のスポーツ練習法としても,民主的な最もすぐれた方法といえよう。
4)動 作
剣道では古来,心身一加の動作捨て身の動作気・剣・体の一致心・気・カの一致残心などの動作が特に重要視されてきた。 これらの動作はスポーツにおいでも同じように重要なのであるが,剣道ではいささかニュアンスが違い,精神面を重視し,武術として強く要求された勘とか,心境とかの精神的要素を重視しているところに意義がある。古歌に「切るときも突くべきときも心して,心気力の一致忘るな」とか,「山川の瀬々に流るる橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」,また,「相手をば打ちたる時も心して,構えくずさず後を備えよ」などがあるが,これらは心・気・力の一致,捨て身の打突,残心などをそれぞれ表現したものであって,いずれも剣道動作の真髄ともいうべきものである。これらの動作が持つ意味をよく吟味すれば,現代生活にも一事をよくなすための歳言として生きてくることになろう。
詳細については,基礎理論の項を参照されたい。
5)芸能(芸術)
芸能は自分自身が芸術品となることであり,芸術は間接物を通じて表現するものであるとされるから,剣道は芸能面を志向するということになる。剣道が芸能面をも志向するようになったのは徳川時代からで,それは日本の民族性と長い間つづいた平和生活とによって剣道が武術として要求されるとともに立派さが強く望まれるようになったからであるが,本質的には剣道の修練が外来のスポーツと異なり,長年にわたって修練を行なうことができるとともに技能力を保持することができるからである。それは芸能として価値あるためには長年にわたって修練をつづけて行なうことが必要条件であるからである。剣道の芸能は見る者に美しさを感じさせ,心に豊かさをもたらすものである。古来からの剣道が技能カにすぐれているだけでなく,姿勢・態度・気品・気位などが強く要求されてきたのはこれらが芸能として重要な要素であるからである。しかし,剣道の芸能は常に技能力のともなうことが条件であって,技能力を軽視した剣道は芸能としても価値のないことを忘れてはならない。
次に芸能面のおもな要素とその内容を表示して説明する。
姿勢・態度 芸能面から見た剣道では姿勢が美しいことが強く要求されるが,そのためには,筋をリラックスさせた自然体でなくてはならない。むだな筋の緊張がなく,自然の起立姿勢は美と豊かさを感じさせるものである。立派な姿勢は前からあるいは横から見て美しいだけではなく,後方から見ても豊かさを感じるまでに至らなくてはならないが,そのためには正しい姿勢を心がけて長年の修練が必要である。
熟達者の歩く姿,後ろ姿までが美しいといわれるのは永年の修練によってリラックスされた自然体を体得されたもので,技能面からすきがない姿勢であるとともに,芸能面からも尊いことである。リラックスさせることは筋だけでなく,心のリラックスがきわめて重要であって,心身のリラクゼーションが美しい姿勢の要諦である。心のリラクゼーションは無念無想の心境であるから不動智神妙録を参照されたい。
剣道は真剣勝負を前提としての競技であるから,真剣味がなければ真の美を感じない。真剣な態度は技能面から必要であるばかりでなく,芸能面からもきわめて重要なことである。
また,心が乱れては立派な態度とはいえないから,不動を目標に修練して堂々たる態度で行なうように心がけなくてはならない。
相手に対する態度が立派であることは実にうるわしいことであるが,相手に対する態度は相手を尊敬する礼が根本であるから相手に対し礼儀正しく,正しい作法で行なうことが肝要である。また,服装・防具のつけ方及び用具のとり扱いなども重要なことであるから,これらのことについても十分留意することがたいせつである。要するに,姿勢・態度は,心身の調整されたリラクゼーション及び真剣味との調和などから美しさは生じ,正しい礼儀作法などからいっそう美しさが高まるものである。
気品 気品とは心の正しさ,美しさが現われたもので,心の光とでもいうべきであろう。
剣道は強いだけでなく,気品がありたいものであるが,気品のある剣道は端正な姿勢・態度と無念無想の心境から自然にできるものである。心が端正でなければ気品は生まれないし,姿勢が端正でなければ気品は添わない。勝敗に拘泥しすぎたり,止心・邪念が生じては動作にも無理が出て品が悪くなる。理にかなった動作が競技力のうえから重要なことであるが,気品を高めるうえからも重要なことである。
気位 武道で要求される気位は戦わずして相手を呑むの気迫のあることをいうのである。すなわち気位は旺盛な先の気で相対することで武道として最もたせつなことであるから,武道としての芸能面の重要な要素であり,気位のある剣道によっていよいよ気品も高まるのである。詳細については気力の項(p.254)を参照されたい。
<注意事項>
剣道は武道であるから,芸能を目標とする剣道は邪道である。剣道における芸能は,求めるものでなく長年にわたって正しい剣道を真剣に修練することによって自然に養われるものであって,剣道修練のおもな目標ではない。
特に若い時代は,芸能面には意を用いないで正しい剣道の習得を第一に修練しなくてはならないが,芸能面と合理的(理合)剣道とは一致するから,熟達者としては芸能面にも志向することが意義深い。

コメント:0

コメントフォーム
Remember personal info

トラックバック:0

このエントリーのトラックバックURL
http://kendo-amispo.iicocoro.com/articles/mizutakendo/mitsuhashihanshi/1640.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
剣道の特性 – 伝統的側面 – 技能面とその修練法 from 阿見町剣道スポーツ少年団 ~ 剣心也 ~

Home > 三橋範士の「剣道」 > 剣道の特性 – 伝統的側面 – 技能面とその修練法

メタ情報

Return to page top